2009年07月11日

【転載】王楽泉・書記はこれまでの更迭説を跳ね返し「血の弾圧」を中央から評価された(宮崎正弘)

【転載開始】
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 「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
      平成21年(2009年)7月12日(日曜日)
         通巻第2659号 (7月11日発行)
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 新彊ウィグル自治区に駐屯の特殊兵団は百万人に増えていた
  王楽泉・書記はこれまでの更迭説を跳ね返し「血の弾圧」を中央から評価された
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 中国共産党の遣り方は世界の常識の百八十度、反対側にある。
 血の弾圧をすればするほど、出世するのだから。胡錦涛もチベットで民衆の不満を血の粛清でのぞみ、とんとんと出世階段を駆け上った。王楽泉は中央委員である。

 さて中国はウィグル自治区の騒擾における死者の数を増やした。184名。
犠牲者の民族構成は漢族の犠牲が74%だって!(新彊ウィグル自治区の最新の人口構成は漢族が73%)。
 この数字は信憑性が薄い。まるで語呂合わせではないか。

 「世界ウィグル会議」(カディール女史が代表。ワシントン)は直ちに声明を発表し、「死者は最大3000名に達するだろう」。
またNYタイムズは「漢族のギャング団が武器を手にしてウィグル人を襲撃した」事実を明記した(7月11日付け、ネット早版)。

 ウアルカイシ(吾爾開希)は台北で記者会見し、「天安門事件の死者を中国共産党は最初から最後まで作為した。今度も数千の犠牲がいるはずである」(『自由時報』)
 蘇貞昌(前台湾首相)も同紙に寄稿して「自由と人権を尊重する立場から、われわれはウィグル人を支援するべきではないか」と訴えた。

 さて、今時ウィグルの騒擾で長らく謎とされてきた「新彊兵団」(新彊に駐屯する特殊軍隊)の謎の一端が明らかになった。
正式名称は「新彊生産建設兵団」という。

 
 ▲石油ブームが漢族の人口を激増させ、ウィグル人を石油とガス産業から排除

既報のように毛沢東時代に中国人民解放軍という事実上の「侵略部隊」は山東、浙江省からの部隊が主力だった。後年、これに上海からの若者が追加され、1960年代には五十万人といわれた。

 簡単に言えば革命後、余力を新彊とチベットに侵略軍として派遣し、将棋のコマのように使い捨て、生き残っても中原に帰還して貰っても困る。食い扶持が減る。だから現地に残留させ、「生産」とか「建設」とかの美辞麗句で飾り、実際は自活せよ、というわけだった。
これが『新彊生産建設兵団』発足の経緯である。

 『新彊兵団』は独自の養鶏場、養豚場、農場をもち、自作自給の食糧による駐屯を続けてきたため独立部隊の性格もあった。
この兵団のなかに党細胞と独自の行政、独特の自治、検察、司法どころか銀行も大学も持ち、企業経営も展開してきた。『行政』は中央組織をまねて「台湾弁事処」まである。

 現有は十四個師団、保有する農場は100以上、建設企業が500以上で社会事情の単位は3000もある。
100万人と推定される構成員の89%が漢族だという。

 同期間、住民の強制移動により中国各地から新彊に300万人が移住したため漢族の人口比がまたまた増えた。
ウィグル人の怨嗟の的となった王楽泉(新彊ウィグル自治区党書記)はソ連崩壊直後に新彊に入ったが、おりからの石油ブームで採掘、輸送ビジネスを展開し、一族郎党を山東省から率いてきた。石油ブームにより200万人の新規移住があり、漢族の人口が増えていた。

 もともと王は石油技術に明るく、また共産主義青年団(団派)出身のため、一時は胡錦涛との関係が緊密だったという説もある(NYタイムズ、7月11日)。
 しかし十六年という長きに亘る駐在は珍しく、赴任地が長ければ長いほどに利権の独占状態が進んでいることもまた事実であろう。
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【転載終了】
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Linktv7/10:ウイグル族vs漢族[増補版]

 Linktvは各国の報道振りが比較出来て便利だ。CCTV映像との違いに注目。


[増補]20090711 AM11:10(タイ時間)Al Jazeera's Melissa Chanの報告。
posted by マロニエ at 12:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

中国のアフリカ進出の功罪(DN!)

 かつてアフリカに植民地を持たず手が汚れていないこと、為政者が独裁者であろうが煩いことを云わぬことから、資源獲得を中心に中国のアフリカ進出が拡大しており、そのプレゼンスが米仏に次ぐ第三位から第二位へ、更には米国が第二位になるところ迄浮上した。だがその孕む問題は少なくない。中国は現地にどんな問題があろうと商売のみ、築富のみで進出するからだ。

トランスクリプトはこちら↓
http://www.democracynow.org/2009/7/10/china_safari_on_the_trail_of


(さわり)アフリカ政策評論家Nii Akuettehの発言。
<NII AKUETTEH: I think its a story of a glass partially full. The fact that China is bringing significant expertise in building infrastructure is a good thing. The fact that its bringing funding and investment n Africa is welcome, because Africa has such big developmental needs. We need all the investment we can get. However, in fact, I think the dangers―there are great dangers associated with China’s presence in Africa. Frankly, I think one of the biggest factors, positive factors in Africa is civil society. But I do worry it is too sanguine about the presence of China. I worry about China’s presence because I look at what China does in its own country, from the abuse of human rights, from pollution and exploitation of the environment and taking people’s property, like in Beijing, for the Olympics. China does not have a democratic government. In its zeal for development it abuses human rights. And Africa needs both democracy and protection of human rights, as well as development. Africa is full of foreigners coming to Africa saying that they’re coming to help Africa and of using Africa.―and of using Africa. This has been happening for over 500 years. The of slavery was such an episode, then you have colonialism. Then you have neocolonialism. So, while China is helping in some areas, I worry a lot more, which is why I do believe that democracy has to be Africa’s number one priority. When we have strong institutions and democracy, the we can check any investor that comes in, be it a western company, a French company, an American one or a Chinese state-owned company. If we don’t do that, and if we drop the Chinese in the middle of vast countries like D.R.C., and say “Here, you extract the resources you want, and just build roads,” we worry about that. And I’m sure that Serge Michel will tell you there is growing frustration among the people of Africa with the Chinese presence. Zambia is an example. There has been criticism both in Ghana of the China’s presence in Senegal of the Chinese presences, so I think that China’s presence is not a totally good thing. And Africans need to be very watchful and put pressure on them. The African governments, I mean, they’re like the investment and they do not suffer much of the consequences. So they are very welcome. But African people must hold the government responsible and be very careful about their engagement with China. They have to look what China does in its own country.(止め)

 中国がインフラ建設に専門力をつぎ込み、資金及び投資を齎すのは歓迎すべきことだ。
しかしながら、同時に危険性がある。中国が自国でやっている広範な人権侵害を持ち込む怖れだ。アフリカの第一優先事項が民主主義であるのにそれを踏みにじりかねないからだ。かつての植民地主義、今の新植民地主義が横行することになりはしまいか。実際、アフリカ現地サイドの不満が聞かれる。ザンビアがそれだし、ガーナ、セネガルも同じだ。アフリカ諸政府は煩いことを言わぬ中国を歓迎だが、人民はよくよく中国を精査しなければならない。(大意)

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 中国への警戒は両氏の云う通りだと思う。中国は現地で何が起きようと知ったことか、になるだろう。
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Yes We Camp:伊ラクィラ地震被災者の静かな抗議

 伊ラクィラがマグニチュード6.3の地震に襲われたのは4月6日のことだった。300人が死亡し、家を失った人々2万2千人はいまだにテント生活だ。ベルルスコーニ首相が突如、G8の開催地をサルジニアからラクィラへ変更したのはこの地震の惨状を世界に知って貰いたかったからだと云う。

 だが地震後3ヶ月伊政府の地震後復旧への対応は遅く、G8開催地区は住民の立ち入り禁止だ。そこで彼らは開催場所からよく見える丘に10メートルの巨大文字を書いた垂れ幕を設置した、Yes We Camp、オバマ・スローガンの文字りであると同時にテント生活の訴求だ。そして地震後3ヶ月の7月6日、被災者たちは犠牲者への追悼、伊政府への抗議、世界へのアピールを兼ねて静かな燭光行進を行った。参加者5千人と云う。

 以下のビデオ↓はその模様だ。

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2009年07月10日

アフガニスタン:大規模なカンジャール作戦1週間で16名の兵士が死んだ(BBC World)



(参考)
Into Taliban country 7/9 From The Economist 
UNDER cover of night, driving through the desert or landing from helicopters, America’s marines went “big, strong, fast” into the Taliban’s strongholds in Helmand province. More than 4,000 marines and about 650 Afghan soldiers reached their targets in just seven hours.

Operation Khanjar (Thrust of the Sword), which began on July 2nd, was the biggest action by the marines since they retook the Iraqi city of Fallujah in 2004. But unlike their comrades in that bloody urban battle, the marines now in Afghanistan have, for the most part, thrust their swords into hot air. With the Taliban melting away in many places, the marines’ biggest enemy has often been the heat―“hot as fire”, says their commander, Brigadier-General Larry Nicholson. Some complained they had not been able to fire enough rounds to lighten their heavy packs.
(中略)
Moreover, America needs not just Afghan soldiers but Afghan government―and Afghanistan has little in the way of working government institutions. Without them, the marines are operating in a vacuum. “The Helmand people just want peace; not reconstruction even, just peace,” says Haji Mahboob Khan. “But if NATO sent another 100,000 troops to Helmand, without a good government that is free of all these thieves, they won’t be able to bring security.”(全文は上記リンクで)
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イラン:新たな抗議運動発生で高まる懸念(米PBS)


トランスクリプトはこちら↓
http://www.pbs.org/newshour/bb/middle_east/july-dec09/tehran2_07-09.html

 1999年学生抗議運動の10周年記念に学生が立ち上がったものだが、その根底には蟠る不満があると見られる。緑色革命と云われたこれ迄の規模に及ばないもののデモ禁止/力による弾圧下の情勢を考えれば、そのインパクトは大きい。

 注目すべきはKARIM SADJADPOUR発言、革命護衛隊員の中にイスラム共和制への不満を口にするものがあることだ。それはイスラム共和制に巣食った既得権益階層、それを是正出来ない最高指導者ハメネイへの正統性懐疑が背景だろう。これは極めて正当な不満だと思う、前回アフマディネジャドが公約したのも、そしてテレビ討論会で指摘したのもそのことだ。

 私がムサビ〜ラフサンジャニ線の改革派という呼称に大変疑問を感じているのは、何度も繰り返して来たことだから再説しないが、イランの民衆運動は悪しき指導者に簒奪され間違った標的に向け批判の矢を放っている気がする。敵を見据えて正しく運動を組織すべきだろう。
(参考)ワシントン・ポスト Protesters Clash With Police in Iran
Demonstrators Endure Batons, Tear Gas As They Try to Mark 1999 Student Unrest
By Thomas ErdbrinkWashington Post Foreign ServiceFriday, July 10, 2009

TEHRAN, July 9 -- Thousands of anti-government demonstrators were attacked with batons and tear gas by security forces Thursday as they tried to gather around Tehran University for the first protests in about two weeks, defying warnings from the authorities that they would crush any demonstrations.

The protests were called to commemorate an attack on students at the university in 1999. The demonstrators are using such anniversaries and special occasions to rally people in public. Demonstrators and Web sites said the next possible date is the second-term inauguration of President Mahmoud Ahmadinejad, which is expected next month. Several national and religious celebrations also are coming up in the months ahead.(全文はこちら
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【転載】「7・5新彊事件」が暴いた権力闘争の醜態(宮崎正弘)

【転載開始】
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 「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
      平成21年(2009年)7月11日(土曜日)
         通巻第2658号 (7月10日発行)
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 「7・5新彊事件」が暴いた権力闘争の醜態
   新彊利権構造にメスを入れようとした団派を江沢民派が強く妨害
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 「9・11テロ事件」に由来するかのように新彊ウィグル自治区騒擾を「7・5新彊事件」と多くの華字紙が命名し始めた。

 民族対立の根深さが露呈したが、一方において中央の権力闘争がある。
その醜悪な側面はこうである。
 すでに小誌が分析したように「新彊覇王」こと、王楽泉・党書記は腐敗の象徴、新彊のプロジェクト利権を総覧し、政敵をばったばったと倒し、山東省閥で周囲を固めた。北京五輪前後から、そのあまりの腐敗ぶりを「団派」(胡錦涛主席の出身母体)が攻撃目標としてきた。

 胡の右腕・李克強(政治局員)は手勢の秘書軍団のなかで、ふたりの副官のスキャンダルを賀国強に握られ、胡錦涛が不在中に賀ら上海派は習近平ら太子党と組んで、李を追い詰める手はずが組まれていた(博訊新聞網、7月9日)。
このスキャンダル情報は温家宝首相側近からもたらされ、内蒙古省赤嶺、山西省臨分、遼寧省本渓、黒竜江省鶏西などの銀行口座に李克強の手勢らの不正蓄財の口座の証拠が挙がっているという。

 表面的には広東省書記の王洋と新彊ウィグル自治区の王楽泉との対立があり、このバランスを崩すためにも、不正蓄財の材料は、それがでっち上げであれ何であれ、重要なファクター、一気に政局を変えることが出来る。

 かつて1979年、トウ小平は四人組追い落としのために葉剣英、華国鋒の力を梃子とした。89年天安門事件は李鵬ら守旧派にとって、目の上のたんこぶ=趙紫陽追い落としの絶好の機会を与えてくれた。

 「上海の江沢民残党」「広東の反王洋(アンチ団派)」が、この場合、呉越同舟した。
 江沢民に近い王楽泉のポストを守り、むしろ厄介者の王洋を失脚させる。そのためにはスキャンダルをでっち上げてでも、李克強の政治力を弱める。そして胡錦涛がイタリアのG8サミットに出かけた隙を突いて、留守番チームが団派の政治力をそぎ落とすという筋書きだった。
公安筋を牛耳る周永庚も、どちらかと言えば上海派である。

 上海派が張り巡らした利権構造は上海メガロポリスから北京中南海をも猖獗し、正義より腐敗を、公正より不正を愛する権力亡者らが党の権威を嵩に、やりたい放題の金儲けに没頭してきた。
 上海派のモットーは「何事も政治的事件がおこらず平穏にカネを稼ぐ」。
 正義感の残る団派の若手にとっては許し難い奴らである。
 
 王楽泉が蓄財した金額は天文学的であり、新彊ウィグル自治区の武警、軍はもとより党組織の末端細胞にまで腐敗のお裾分けが配られ、あたかも王楽泉の私党、私軍とまで言われるほどだった。
 9日、胡錦涛は北京に帰国し、九人の政治局常務委員全員が出席するという異例の会議が開催された。


 ▲東トルキスタンの独立は夢か

 新彊ウイグル自治区は歴史的にも文化的にも文明的にも、もともとウィグル人の土地であり、1944年から1949年まで「東トルキスタン」という独立国だった。
中国が植民地獲得を目的に東トルキスタンに侵略し、ウィグル人指導者、宗教指導者多数を殺戮し、新たに漢族の入植を政策的に進めた。
東トルキスタンの独立は死滅せられ、「新彊」という土地名がつけられた。新しい辺境、という意味である。

 侵略軍は1949年から53年にかけて新彊に進駐し、農地を開墾してそこにどっかと居座る。この駐屯部隊は北京、天津、江蘇省、湖南省そして山東省の兵隊から成り立っており、合計33万人の軍隊が駐屯を開始した。
 以後、1962年から66年にかけては上海の若者およそ十五万人が送られた。

 他方、1949年から1984年にかけて、300万の漢族ほかの異民族が移住し、ウィグル自治区の北部一帯をしめる。シルクロードの北側、天山山脈の雪解け水に恵まれ、古くからオアシスが多い。当時、新彊ウィグル自治区の人口は約1000万人。三分の一が漢族となった。
 ただし新彊ウィグル自治区の南方は土着の民が多く、漢族の入植はきわめて少ない。理由は核実験場と、工業化に向かない土地だから。

 98年からの西部開発政府プロジェクトは、この北部の漢族居住区が対象とされ、ガス、石油開発、高速道、橋梁、鉄道、官舎、駅舎などのプロジェクトは漢族企業が独占し、ウィグルの民は農業に従事しているだけだった。新田開発も、移住してきた漢族にのみ供与された。
 ウィグル農民と漢族の都会生活者との所得格差はますます開いた。

 警察、軍、金融、銀行、石油化学、ガス、行政組織、教職等々、近代化に必要な職種はほぼ漢族が手中とした。
ウィグルの民には現場労働やリキシャ、個人商店、羊肉レストランいがい、進出できる職場もなく、まして教育現場は北京語が強要され、ウィグル語しか喋れないウィグル人は教師の職も追われた。
 「とくに原油、ガス、石油化学の従業員にはひとりのウィグル族もいない」(BOXUNNEWS、7月7日付け)。

 アルカィーダやアラブのイスラム原理主義過激派は、貧困が原因である。
 ウィグルから多くの若者が国境を越えてアフガニスタン入りし、アルカィーダの秘密軍事基地で訓練をうけていた。

 新彊ウィグル自治区のウルムチ市内は戒厳令下、街は静寂を取り戻した。街のいたるところに軍隊が駐屯して目を光らせている。力による平定。これが平静である。
 それが如何に表面的なことかは共産党自身が知っている。
【転載終了】
posted by マロニエ at 18:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ウルムチ報告:数千名の軍隊が出動(DN!)

 弾圧用の便利な言葉「反革命暴動」「テロリスト」。武装警察、軍隊と中共はすぐに「裸の暴力」を揮う。これが共産主義、社会主義国家を自称するとはちっ(怒った顔)僭称であるかイデオロギーそのものの欠陥に違いない。


トランスクリプトはこちら↓
http://www.democracynow.org/2009/7/9/report_from_urumqi_thousands_of_chinese
posted by マロニエ at 18:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする