< 自動車メーカーのビッグ3を救済すべきかどうかについての討論は性格付けが間違ったままだ。それはデトロイトの相応しからざる恐竜を助ける包括法案として記述されて来た。事実、自動車メーカー救済計画はその他の何人同様株主と債券保有者を益するかも知れない。これらの者は即時救助を必要とする者たちではない。事実彼らは問題を大きくした。
金融市場は資本を割当て、それが善い効果を上げるか監視すると想定される。その仕事を巧くやれば報いられ、失敗すればその結果に耐えると想定される。市場は失敗した。四半期業績へのウオール街の集中が自身の病と自動車産業を含むアメリカ製造業のそれとに帰結する近視眼的行動を督励した。今日、彼らは説明責任逃れを懇請している。我々はそれを許すべきでない。
為されねばならぬことは自動車メーカーが仕切り直すのを助成し、過去の債務の辻褄合わせに帳簿を弄くり回すより寧ろ良い車の製造に注力できるようにすることだ。(止め)
それから骨子次のような主張をする。
1。既製品の破産の変形ー破産法廷に赴く前に凡ての条件が整った所でーが、彼らにより良い且つ環境的に健全な自動車の製造を許すことが出来る。金融市場の状態を所与とすれば、納税者にリスクを償う全面的見返りを与える条件で米国政府がそれを提供しなければならないかも知れない。
2。金融を再構築すれば、現物資産は消え去らない。株の投資家(彼らは監視責任の充足に失敗した)は凡てを失う。債券保有者が株所有者に転換して相当額を失うかも知れない。
3。政府は一部年金基金を援助しなければならないかも知れないが、「寡婦や孤児」が少々の金のお溢れに与ることを希望する大規模な救済経由より、直接そうすることがもっと好い。業界専門家は1250億ドル以上が必要になるだろうと言い、救済疲れが生じているのに、何故米国の消費者は150億ドルの贈り物が転回の工夫になるだろうと信じるのか。
4。同業界が利子支払いの重荷から解放され仕切り直しを与えられるなら信頼の回復するだろうことの方がもっと尤もらしい。
5。失敗の責任は米自動車メーカー及び米金融市場の経営者にある。それらは監督に失敗し近視眼的な行動を奨励した。「何処にも行けない橋渡し(=つなぎ)貸付」ー膨大な規模の沈下穴になるかも知れぬものへの頭金ーはこの混迷に我々を引き込んだ近視眼的行動のもうひとつの範例だ。
(以上)
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事業をする以上失敗したら倒産するのは資本主義のいろはだ。
株主が事業の所有者であって、倒産したら株は無価値になる、当然のことだ。株主でない経営者は所詮雇われであるが、広汎強大な経営権を行使することで、単に命令に従う従業員とは区別される、応分の経営者責任を果たさねばならぬし、時に刑法上の責任を負うことすらある。プロたることを求められる銀行等の債権者、通常の商取引で発生する一般債権の保有者、労働者の労働債権、租税公課などの税務当局などはそれぞれ弁済の順位が法定されている。
資本主義は市場の調整作用を通じて、産業の担い手たる企業等の新陳代謝を行う。これを基本にするなら失敗企業を保護する謂れは政府に無い。政府が敢えてこの原則に反して救済を行うとすれば、明確な目的・理由がなければならない。
スティグリッツの所論はこの基本に忠実な立場の確認だ。勿論、共和党の救済反対論の背景には賃金の南北格差(南低北高)に対する反感があるとも聞くから、現実的動機が如上の原則論から来るとは限らない。市場がある日消えてしまった産業にどう対処するのか。
金融は資金繰りと営業外損益とに関わるに過ぎない。金融で何をしようが営業収支が赤字の企業(つまり存在理由の無い企業)は生き残れない。それをつなぎ資金だけで解決することは出来ないし、赤字資金の貸付は銀行なら背任行為に当たるだろう。企業は健全な営業黒字が確保できるように事業を再構築しなければならないし、営業外収支が企業存立に影響するなら応分の債権放棄をしなければならない。上ではChapter 11を簡単に倒産と書いたが、寧ろ会社更生と言った方がいいだろう。会社更生は既存の生産力を無碍に廃棄しない。ひとつの有力な考え方として思考メニューから落とさない方が好いだろう。
但し、世界のトヨタでさえ苦況に陥っている現実を考えるとビッグ3にどのような生き残り展望が開けるのか私には分からない。Chapter 11にしても実際は組み立ての難しい気がする。いずれにせよ自動車及びその関連産業がこれまで通りでやって行けないのは、こと一部企業でなく、全世界規模の問題であることから分かる。
結論は留保して、上記は賢人の意見としていつでも取り出せる形で保存しておきたい。

